CORVUS Neue Eurythmie Performance  『喉』

2020年9月11日(金) 座・高円寺2


一回限りの公演。本来はもっと多くの人と分かち合われて然るべきものだったと思うけれども、客席のディスタンスも含めて、空間全体が一つの「喉」として共鳴で満ちていた、あの状態が作品そのものであったように思う。深く長い余韻に私の喉はまだ共振している。



薄暗い中、触れるようで触れないような二つの身体の動き、柔らかな歌声。初めての会場、初めての空間なのに冒頭から、ああ、この感じ何だっけ…どこで覚えがあるんだろうと懐かしいような感覚。


「ずっと ずっと 大昔…」

設計なのか場所によってエコーする静かな声。いわゆるオイリュトミーでの朗唱ではない。水面にしずくが波紋を広げていくように、言霊がこだまして舞台から溢れてくる。一つ一つの言葉が頭の中に響いては「人」や「動物」の形をなしてくるように感じられ、自分の観ているものが目の前にある身体なのか、その身体から立ち上る気配なのか、はたまた本当に観ているのかさえ怪しい気がしてくる。やはり、ああ、この感じ何だっけ…という感覚。

細胞、DNA、個人の時間を遥かに超えて、生命の胎内にある記憶を手繰るよう。静かな共鳴。


「恥ずかしい」と言い続ける「おれ」は、生まれ落ちた赤ん坊のようにも、或いは取り囲むすべてのものを前にして一瞬に自我に気づいた魂のようにも思われた。

纏っていたものを脱いで「声」に還っていく言葉。二つの身体の間に行き交う声、音。原始の形、意思や感情。そこに重なって聴こえてくる幾つもの喉から発せられる息づかい、音。


やがて、記憶の彼方で聴いたことのあるような、見守るようなハーモニー。パッヘルベルのカノンにも似たコード進行。安定した柔らかなベースに支えられて、光を宿すような円い滑らかなソプラノが美しい。中声部のテナーとアルトが見事に溶け込んでいて、穏やかながらも人数以上の響きはまさに調和の賜物。「人」と「動物」が区別なく調和していた「大昔」を思い起こさせるようでもあり、合唱する者の端くれとしては、声を合わせて歌うことの愛おしさを強く思い出し、気づくと暗がりの中にハーモニーを目で追っていた。


CORVUSの二つの身体は喉、声、言葉だった。

太古の洞窟画、精霊、神殿の壁画、ものがたり、言い伝え、神話、細胞、DNAの二重らせん… 


終演後家路に向かいながら、あの世界が現実で、戻って行く先の生活の方が虚構のように感じた。2週間経った今もその感覚は残っている。

どうやっても収まりきらないけれども、あの一夜限りに立ち会えた残響の備忘録。