最近、「準備」という言葉にふと生じた違和感。
そこには善意があるはずなのに、使われたニュアンスに強い抵抗を感じてしまった。そうなると、備えあれば憂いなしなんて嘘。準備万端なんて無理だと思う。物事はコントロールできるという思い上がりが含まれているように感じてしまう。
だけど、日々何の準備しないでいるのは無理だ…だとすると、この違和感は何?

転校だって引越しだって…
日付が分かっていても、カレンダーに赤丸を付けてカウントダウンしていても、何回繰り返しても、どれだけ準備しても、突然途中で切られてしまう感じは拭えなかった。
出産だって、自分に宿った命が生まれて来るのを両手を差し出して心待ちにしていても、それが二人目であっても、想像を遥かに超えたびっくり箱。

昨日のラグビー、日本対アイルランド戦。試合後に多くの日本代表達がインタビューで、次のサモア戦に向けての「準備」という言葉を使っていたけれど、それには違和感が無かった。

「用意はある物事を行うために必要なものなどをそろえる意を表す。それに対して準備は物事がうまく運ぶように前もって環境や態勢などを整える意を表す
(スーパー大辞林)

ワークショップでお世話になっている舞踏家の大倉摩矢子さんに、即興舞踏を公演で踊る時にどうやって準備するんですか?と聞いたことがある。振付けされた作品と違って、公演のための練習というのは無くて、いつもと変わらず基本の練習で身体を練っていくのだと教えてくださった。

物事が上手く運ぶように…は祈り。祈リながら、全力を尽くしつつ、潔く物事に向き合う。

日常茶飯事ーー毎日の生活では、準備さえも習慣。想定内に収まることが多すぎて、収まると思い込んで、準備をすれば大丈夫と決めつけたり、「準備すること」に頼りすぎて、シンプルに物事に向き合うことを先延ばしにしているのかもしれない。
家事、仕事、人のすることには熟達もあるけれど、慣れに形骸化してしまうと、起こる物事は人間の管轄外だと忘れてしまう。

だから、準備なんてこんなものと侮らず一期一会で…。